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東京高等裁判所 昭和40年(ネ)1114号 判決

控訴人 マーシヤル・エム・クレス 外一名

被控訴人 ゼ・ホーム・インシユランス・コンパニー

主文

本件控訴はいずれも棄却する。

控訴費用は控訴人らの負担とする。

事実

控訴人ら訴訟代理人は、「原判決中控訴人ら敗訴の部分を取り消す。被控訴人は控訴人らに対し、更に各金九〇万円及びこれに対する昭和三八年九月一三日から支払済みに至るまで年五分の割合による金員を支払うべし。訴訟費用は第一、二審とも被控訴人の負担とする。」との判決および仮執行の宣言を求め、被控訴人訴訟代理人は、控訴棄却の判決を求めた。

当事者双方の事実上の陳述および証拠の関係は、左記を付加するほかは、原判決の事実の部に書いてあるとおりである(ただし、原判決六枚目表一〇行目、一一行目に一、八〇〇〇、〇〇〇円とあるのは、一、八〇〇、〇〇〇円の、同一一行目に九〇〇〇、〇〇〇円とあるのは、九〇〇、〇〇〇円の各誤記であるから訂正する。)。

控訴人ら訴訟代理人は、「本件任意保険契約における保険証券記載の条項(コンデイシヨン)一四には、当会社(被控訴人)に対する訴は、現実の裁判を経たうえの被保険者(本件ではマクニール)を敗訴とする判決によつて、または被保険者、損害賠償請求者(本件では控訴人ら)および当会社の三者間の文書による合意によつて、被保険者の支払うべき損害賠償額が最終的に確定するまでは、これを提起することができない旨の規定がある。この条項はいわゆるノー・アクシヨン・クローズであり、直接には会社に対する訴えの提起を制限している訴訟法上の合意とみるべきであるところ、訴えの提起は公権の行使であつて、これに制限を加えることは許されないこと、また、これを許せば、経済的弱者は常に自己のもつ権利を放棄せざるを得なくなることなどの理由により、右合意は日本の民事訴訟法上無効と解すべきである。仮りに右条項が訴訟法上の合意でなく、実体法上の合意であるか、または両者の性質を兼ね備えるものであるとみるべきであるとすれば、それは保険者のてん補義務の発生の条件を定めたものであつて、被保険者を敗訴とする判決および三者間の文書による合意があることは、保険金支払義務発生の条件と解される。このような条件は、それが合理的、妥当なものであれば、有効なことは勿論である。しかし、いわゆる普通契約約款は、契約定型化による契約の合理化に資する反面、企業者が自己の経済的優位を利用し、その企業利益の維持をはかる意図をもつて一方的に制定し、企業の利用者は、右約款を利用するか否かの自由しかなく、利用者側の契約締結ならびに内容決定の自由は、実質上奪われているのが常であるから、右約款を具体的契約に適用した結果が、企業者の利益に資する反面、その利用者に著しい不利益を課し、正義公平に反する場合には、このような約款は公序良俗に反し、無効となるものとしなければならない。ところで、責任保険における保険事故とは、被保険者が、法律上責任を負担したものとして、裁判上または裁判外の請求を受けた(それが理由があると否とを問わず)こと自体を指すとみるのが、責任保険の目的に合するといわなければならない。責任保険は第一次的には、被保険者の不慮の出費にそなえるものではあるが、その背後には常に被害者救済という面があり、この面を看過することはできないのである。このように考えると、被害者の権利行使につき、過大な条件を付した本約款における右条項は、著しく不当であり、正義公平の理念及び公序良俗に反するものとして、その効力は否定されるべきである。責任保険における保険事故を右のように解さず、被保険者の法的責任が真に生じたか否かの不明確さによる紛争をさけるため、被保険者があるいは敗訴判決を受けたこと、あるいは責任を履行したことなどを、約款上、保険金支払義務発生の条件とすることは差しつかえないとする説もあるが、保険事故をかように狭いものに限定する考え方には賛成できない。右のように狭く限定することになると、本件におけるように、被保険者である加害者が死亡し、その相続人の存在が不明であるか、少くとも相続人が日本国内に居住していないために、被保険者に対して提起する訴訟において、被保険者またはその相続人の出頭を求めることが不能である場合、また会社、被保険者、被害者間の文書による合意を取りつけることも不可能な場合、右の条件をいかにして満足させろというのであろうか。公示送達を日本で、あるいは、被保険者の本国で行なえというのであろうか。それとも法人となる被保険者の相続財産に対して訴えを提起せよというのであろうか。その手続の煩雑さ、所要時間などを考慮すれば、右条件の不当性は明白である。被保険者は通常は自動車運転者であり、事故により死亡することが多いはずであり、本件のような事案が多く発生するであろうことは想像に難くない。このように被保険者の死亡によつて、保険金支払請求権の行使が困難になる結果をまねくような保険事故を定める約款は極めて不合理であり、このような条項は、保険金請求権の行使、ひいては債権者代位権の行使に不当な条件を付したものとして、その効力は否定されるべきである。」と述べた。証拠〈省略〉

被控訴人代理人は、「本件任意保険契約が英米法国およびドイツ法国において広く採用されている方式で、被害者救済の点でもなんら不都合がないことは既に述べたとおりであつて、本件でも、控訴人らはマクニールの相続人に対して訴えを提起すればよく、その場合、不法行為地として日本の裁判所に管轄があるのである。また、本件契約方式が日本の損害保険会社の従来採用していた方式にくらべ、進歩したものであることも既に述べたとおりであるが、日本の損害保険会社も昭和四〇年一〇月一日から、すべて従来の現実の支払を要件とする方式を改め、本件契約と全く同じ英米方式に改めているのである。」と述べた。(証拠省略)

理由

一、原判決事実の部の請求原因第一項ないし第三項に対する当裁判所の説明判断は、原判決の説明判断(原判決理由の第一項ないし第三項)と同じである。

二、マクニールが被控訴人会社と、控訴人ら主張のような保険金限度額を一人当り金一八〇万円とする、いわゆる任意保険を締結していたこと、右任意保険契約においては、「当会社に対する訴は、現実の裁判を経たうえの「被保険者」を敗訴とする判決によつて、または「被保険者」、損害賠償請求者および当会社との三者間の文書による合意によつて、「被保険者」の支払うべき損害賠償額が最終的に確定するまでは、これを提起することができない」旨の条項(以下単に本件条項という。)が定められていることは、当事者間に争いがなく、真正にできたことに争いがない乙第一号証の一、二によると、右保険契約は、自動車の所有、保存または使用上生じた偶然な事故のために他人が受けた身体傷害または疾病(これによる死亡も含む)に対し、「被保険者」が法律上損害賠償責任を負担する場合、その支払うべき金額の全額をてん補することを内容とするものであることが認められる。

控訴人らは、本訴で、控訴人らのマクニールに対する損害賠償債権を保全するため、民法第四二三条第一項の規定により、マクニールが被控訴人に対して有する右金一八〇万円の保険金請求権を、各自金九〇万円の限度において、マクニールに代位して行使するにあたり、本件条項は無効であるから右代位権行使による請求の妨げにならないと主張し被控訴人は、本件条項により右保険金請求権は未だ現実化していないから、債権者代位権の対象は存在していないことになると争う。次下この点につき判断する。

三、控訴人らは、まず、本条項はいわゆるノー・アクシヨン・クローズであるから、訴訟法上の合意とみるべきであり、したがつて無効としなければならない、と主張する。なるほど、本条項は、用いられた字句からすると、出訴権の制限に関する訴訟法上の合意であるように解され、事実、訴訟の提起を制限する効果をもたらすことは否定できないけれども、本条項の目的とするところは、保険金支払の原因である保険事故すなわち被保険者の法的責任の有無を明確にするにあり、したがつて、本条項の本質は保険者、被保険者間で保険金支払義務発生の条件を定める実体法(保険契約法)上の合意をしたものであると解するのが相当である。それ故に、この実体法上の合意としての効力という点を看過し、事実上、出訴制限の効果をもたらすという面だけから考えて本条項を無効と断ずることはできないことは、当然である。

四、控訴人らは、本条項が実体法上の合意の性質を有するとしても、それは著しく不当なものであるから無効である、と主張する。

責任保険における保険事故を、契約所定の事実により、被保険者が第三者に対して財産的給付をなすべき法的責任を負担することと解すべきか、あるいは被保険者が第三者から裁判上または裁判外の請求をうける(責任のあるなしを問わず)ことと解すべきかは、争いがあるが、いずれの解釈をとるにせよ、保険者、被保険者が、いかなる条件のもとに保険金支払義務が発生するかに関し特約をすることは、法の禁ずるところではないから、本件条項もそのような特約として、適法であるか否か検討しなければならない。

さきに認定したとおり、本件任意保険契約における保険事故は、結局、被保険者が法律上損害賠償責任を負担したことではあるが、不法行為による損害賠償においては、被保険者である加害者が法律上損害賠償責任を負担したというだけでは、通常未だ賠償額が確定せず、したがつて、保険者の被保険者に支払うべき保険金額も判明しないのである。不法行為による損害賠償債務のこのような特殊性を考慮して、右のような不明確さによる紛争をさけるため、本件条項を設け、保険者のてん補義務の発生の条件を現実の裁判を経たうえの被保険者を敗訴とする判決によつて、または被保険者、損害賠償請求者および保険者の三者間の文書によつて、被保険者の支払うべき損害賠償額が最終的に確定したときと定めたものと解するのが相当である。責任保険の性質にかんがみ、このような条項はその内容において合理的であり、控訴人のいうように無効なものではないとしなければならない。もつとも右の条項も、「現実の裁判を経たうえの被保険者を敗訴とする判決」という部分の解釈のいかんによつては被保険者(ひいて損害賠償請求者)にはなはだしい無理を強いることになる場合が起こるであろう。そのような場合には、そんな解釈はとうていとることができないとか、そのような解釈をとるほかない条項はその限りにおいて無効であるとかしなければならないことになるかもしれない。しかし、その故をもつて本件条項を全体として無効であるとすることはとうていできない。控訴人は、被保険者である加害者が死亡した場合における別訴の困難さを強調する。右の場合、出訴にあたり、ある程度の困難に出会うことがあることは事実である。しかし、その場合でも、調査し研究すれば困難を乗り越えることができるはずである。右の困難さを理由として本件条項を無効とすることはできない。被保険者またはその承継人が損害賠償請求者の請求をもつともであるとして全面的に認めた場合の判決、いわゆる擬制自白による判決は本件条項の判決にあたらないとするほかないかは問題があろう。しかし、それは、損害賠償請求者がそのような判決をえたうえで本訴のような代位請求をした場合にはじめて解決すべき問題である。本件においては、損害賠償請求者である控訴人は被保険者の承継人に対し出訴すらしていないことは弁論の全趣旨によつて明らかであるから、本件条項の定める保険金支払義務発生の条件は成就していないものといわなければならない(甲第一六号証に示されている見解は本件には適切でない。)。

五、以上のとおりであるから、本条項に定めた事由がそなわつたことを認めるに足りる証拠がない本件では、マクニールの保険請求権は未だ発生するにいたらず、したがつて、右発生を前提とする控訴人らの本訴請求は理由がないものとしなければならない。

右と同趣旨の原判決は相当であるから、民事訴訟法第三八四条、第九五条、第八九条、第九三条を適用して、主文のとおり判決する。

(裁判官 新村義廣 蕪山嚴 高橋正憲)

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